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本稿は透谷の評論に出てくる他界の槪念がもともと死後の世界を意味する來世とは異なることを明らかにし、さらに透谷の詩、戱曲、小說などを全般的に分析して透谷文學における來世の意味をこれらの作品に一貫して現われる處女の靈魂に注目しながら考察した。 透谷の評論は、一貫した論理的思考によって構築せれた思想體系であるが、透谷の詩、戱曲、小說などは彼の心の心象をありのままに吐露したものであると言え、前者とは全く異なる。特に戱曲『蓬萊曲』には、東西思想が混在しており、筋や一つ一つの言葉に東西の槪念が竝立しているため、內容が混亂して見えるのも事實である。しかし、これらの作品の筋には、處女の靈魂が出現し、主人公の心が來世に向かうという點で一致している。 透谷の評論が理想に向かっているのに比べ、評論を除く透谷の作品はみな靈魂の世界を描いており、それは來世の關門である死へと向かっている。ことに『蓬萊曲』では死を越えようとしており『蓬萊曲別篇』では死後の世界である來世を描こうとした。  透谷の詩、戱曲、小說などはみな主人公の前に處女の靈魂が出沒し、主人公を死へと引っぱていく筋であり、主人公は來世を待ちのぞみ死を願っている。透谷の評論は、理想觀念としての他界が彼の思想を貫いているかに見えるが、評論を除いた彼の作品に現われているものは、來世への憧れだった。透谷は、來世を『蓬萊曲別篇』で描こうとしたが、結局未完のまま終わった。これを松子の死や透谷自身の悲劇的死によって現實を通して描くこととなったのである。