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鎌倉時代は平安貴族社会の結合手段を受容する一方、中世的人的ネットワーク(擬制的親族関係)が定着していく時代であった。その過程を幕府政治を主導した源頼朝、北条氏を通して確認することができる。頼朝、北条氏の幕政運営・権力強化過程に表出される様々な結合がどのように機能し、幕府運営に影響を及ぼしたかを究明することは大事であるという認識から本稿は出発した。北条氏における最強の人的ネットワークは言うまでもなく源氏将軍家の外戚の地位であった。しかし外戚であることで幕府内で北条氏の家格が上がったのは事実であるがこれですべてが解決したわけではない。頼朝死後、外戚の地位を克服すべく帰路に立たされた北条氏は恒久的に政権の中核に居られる方法を模索せねばならなかった。複合の人的ネットワークづくりはその現れである。北条氏全盛時代を開いた時政の人的ネットワークづくりは、幕府内で北条氏の存在感を高めることにあり、効果もあった。彼によって北条氏による政局主導の土台がつくられた。そういった点で義時・泰時の時代は幕政を安定的に主導し得る体制づくりに励んだ時期でもあった。北条氏の権力強化過程は源家将軍家の外戚の地位から端を発し、武家的結束原理(擬制的親族関係)を適宜に活用しながら拡大していった。こういった点で北条氏は、中世武士的結束の基本型を作ったといってよかろう。これは12世紀に定着した中世的 「家」の成立と密接な繋がりをもつ。結合問題は社会の基底部分に触れる重要な問題である。そのことは本稿が、はからずも幕府内における人的ネットワークのあり方を明らかにした点からも知り得る。北条得宗家は自己を脅かす可能性のある集団を、徹底して(比企能員の乱、和田合戦、宝治合戦など)排除する。一方、衝突を避けるために烏帽子親子関係を結び、相伝の家職を保障して帯有の資格を与えることによって嫡流を押え、そこから氏族全体を把握し、得宗政治体制を維持していったのである