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사경회는 성경 공부를 위해 개최된 모임으로 1880년대 개신교가 들어오면서부터 시작되었는데, 본격적으로 활성화된 것은 1890년대 중반 이후부터이다. 특히 1907년 대부흥 운동에 따른 기독교의 보급은 새로운 신도를 관리하고 교육할 수 있는 시스템을 필요로 하게 되었고, 이러한 요구에 부응해 사경회는 전국 각지에서 다양한 계층을 대상으로 개최되었다. 본 연구에서는 1920년대 이후 조선인의 교육열을 이끌었던 배경의 하나로 1910년대 사경회의 관련 가능성에 주목한다. 제도적 교육이 조선 민중에게 충분히 보급되지 않았던 시기, 그리고 조선 민중의 교육행위에 대한 모습이 충분히 알려지지 않은 시기였던 1910년대 전반, 기독교 보급이라는 명분 아래 이루어진 성경공부가 조선 민중, 특히 여성의 문해교육의 한 모습이었다는 측면에서 사경회의 교육사적 의미를 밝히고자 한다.


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査經會は聖經勉強のために開催された集まりで、1880年代に改新敎が朝鮮に普及されてからはじまったが、本格的に活性化されたのは1890年代の半ばからであった。特に1907年の大復興運動の結果、キリスト教の普及は新たな信徒を管理し、教育できるシステムの必要性をもたらした。査經會はこのような要求から、全国の各地で多様な階層を対象に開催されたものである。 本研究では1920年代以降における朝鮮人の教育熱を導いた背景の一つとして1910年代における査經會の関連可能性に注目した。制度的教育が朝鮮民衆に十分に普及していなかった時期、そして朝鮮民衆に関する教育行為の在り方が充分に知られていない時期である1910年代の前半、キリスト教の普及という名目で行われた聖經勉強が朝鮮民衆に対する文解敎育の一つの側面であったことから査經會の教育史的意味を明らかにしようとした。 本研究と通して次のような特徴が明らかになった。第一に、女性を対象にした査經會がおおく開催されたのは女性の参与が積極的に行われたことを意味する。査經會に通いながら習得した読み書き能力とこれを通して得た新たな知識と情報は女性たちが公的社会へ進入する条件になり、また女性を中心にした家族関係や社会関係を変化させる可能性を持っていた。第二に、査經會のもつ教育史的意味は、査經會の一次的目的がキリスト教の普及にあったが、朝鮮人の文解教育にも大きな役割を担当した。聖經勉強の教育課程の中で読み書きが明示的に含まれた場合はあまり多くなかったが、勉強の中で聖經を理解し読むのが必要であったことから、文解率の増加に寄与した側面は評価すべきであろう。これは1920年以降における朝鮮人の教育熱が現れた原因を説明してくれる一つの要因になることから、この研究の意味を言えるだろう。