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小林秀雄の批評的出発は必ずしも幸福なものではなかった。そこには確かに一つの言語的成就があったが、その言語がすぐには伝統に結び付かないという焦燥が同居していた。「伝統のない思想は常に観念的である。伝統を忘れた言葉は常に空言である」(「文学批評について」)と書いた小林秀雄はすでに精神と伝統についての宿命性と難解さに自覚的であったと言わなければならない。言わば成就は危機と隣り合わせにあったのである。 小林秀雄はその批評的出発に当って様々な誤解にさらされ、またそれに論争的に応ずるが、不幸とはそのような文壇的苦闘のことを言うのではない。それは個々の文学者との闘いであるというより先に、時代と日本という環境や伝統との闘いであった。それが成就と危機という裂け目から強いられた小林秀雄的孤独の真相であり、批評的自意識の原因なのである。 小林秀雄は、文学者にとって理論と自意識は同一のものであり、等価であると言っている。これは言葉のままでは背理のように聞えるかも知れない。理論とは自意識といった主観的影像を取り去った、精神の清潔な営みの謂であると理解されるからである。しかし、小林秀雄にとってこの命題は背理ではなく、批評の源泉なのである。作家が作品を書くに際して必要な理論は、その作品製作の過程に於いて生成されるほかない。というのは、作家が作品を書くとは、自己表現の形式を獲得すると同時に、書く主体としての自分についての理論を自覚しなければならないということである。そういった理論のことを小林秀雄は自意識と呼んだ。批評の場合も同様である。批評家の自意識なくして批評は成立しない。


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批評(criticism), 自意識(self-consciousness), 言語と科学(langu- age & science)