초록 열기/닫기 버튼


本稿は1893年(明治26年)日本で刊行された韓國語學習書『日韓通話』の言語資料としての位置づけを試みようとしたものである.そのため本稿では『日韓通話』の前に刊行され韓國語學習に廣く使われた明治刊本『交隣須知』を比較の對象にし本書の資料としての位置づけと言語的素性を探ってみることにした. 本書『日韓通話』は對馬の士族出身である國分國夫·國分象太郞兄弟の編輯と校正による 時の韓國語會話敎材であるが韓國語本文に對 する日本語の對譯を持つことその本文の 裁と形式が『交隣須知』の流れを汲んでいることその成立に對馬の日本人が關わっていることなどから朝鮮資料の延長線上で論議し得る資料として看過できない 値を持っているものと思われる. 本書に見える日本語に關して言えば2段活用動詞の1段化ハ行4段動詞のウ音便化動詞「行く」の連用形などで明治刊本『交隣須知』のそれと類似した傾向を見せており基本的には『交隣須知』の日本語と大同小異なものと考えられる.しかし稀にハ行4段動詞や「行く」の連用形において促音便形が見られ原因·理由を表す「カラ」が多用されている点などは明治刊本『交隣須知』では見られなかった日本語の時代的 化が反映されている現象として注目される. また韓國語本文や日本語對譯の中には學校文明敎育修身學地理學など文明開化を象徵するような近代文明語が使用されていることも本書の同時代性を活かした實用的な性格をうかがうことが出來よう. こういうことから本書は明治刊本『交隣須知』を ぐべき韓國語學習書としての條件を十分に備えていたように思われる.なお本書の韓國語本文にも開化期の韓國語硏究に資し得る言語現象が散見されるのであるがこれらの問題については今後を期したい.


키워드열기/닫기 버튼

『日韓通話』, 『交隣須知』, 韓國語學習書, 近代日本語, 資料性