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本稿は沖 縣の沖 市にて靑年會によって受け がれている民俗芸能太鼓踊りエイサについて論じたものである.筆者は2002年11月6日∼22日(15日間)2003年2月10日∼26日(15日間), 2003年6月19日∼30日(12日間)の三回にわたって沖 市で現地調査を行なった.現地調査は,沖 市にあるエイサ會館公民館などの所在地を確認しエイサに密接にかかわっている靑年會を對象にした聞き取り調査という民俗學の硏究方法で行なった.この論文は 時の現地調査及び文獻資料に基づいてまとめたものである. 民俗芸能という名のもとに個人のための遊びよりは友人靑年會,地域社會を增進する「エイサ」,村興しという「エイサコンクル」が沖 市の誕生と合流するという流れを通して敗戰後の沖 のイメジ形成を讀み取ることができる.特に一九五六年(昭和31)コザ市(現在の沖 市)が「エイサコンクル」を開催したのが契機になって,今日に至るまで地域の靑年會を中心に發展して來たのは否定することができない.これは「民俗芸能」に接するすべての若者たちに沖 の民俗芸能であるエイサを通して個人の個性より均質の人間を追求し沖 の 濟發展を强く押し進めようとしたと考えることができる.