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本稿は、韓日語の焦點助詞のうち、否定対極表現である日本語「しか」と韓国語「밖에」を取り上げ、統語論的․意味論的観点から両者を対照․分析したものである。統語論的観点からは、主に分布的側面と否定辞との様相を述べ、また意味論的観点からでは言語別の類義語である「だけ」と「만」との対比を通じて、「しか」と「밖에」の表わす「自者肯定」「他者否定」という二重意味構造における明示的意味と暗示的意味を考察した。 具体的にはまず、統語論的観点において、両者の分布は類似性が見られるものの、各々の文法的特性による違いが見られる。つまり、格助詞との承接は両者共に格助詞に後接のみ許される。しかし、「ヲ/를」格と判定詞「だ/이다」に後接できるのは「しか」に限られるという相違がある。また、否定辞「ない/아니다」は単に「しか」や「밖에」の生起するための形式的なマーカではなく否定辞としての役割を果たしていることを述べた。これは、「しか」と「밖에」が意味論的に「(自者)肯定」ではなく「(他者)否定」のほうに視点をおいてあることと関連している。つまり、「しな~ない」および「밖에~아니다」構文が必ず否定辞と共起しなければならない制限を持つことは意味的に「Xしか」「X밖에」の表わす対象が「X以外(=他者)」であり、これが共起すべき否定辞と結びついて「他者否定」の意味が現れるということで、このような意味の生成のプロセスが両者の視点と無関係ではないことを主張した。 一方、意味論的観点から、両者の意味は基本的に「自者肯定」「他者否定」で、これは「だけ/만」と同様である。しかし、視点が「だけ/만」は自者にあるのに対して、「しか/밖에」は他者にあるということが異なる。このような視点の違いによって、「だけ/만」と「しか/밖에」との間に交換可能あるいは交換不可能となる。そして、自者の観点から「しか/밖에」の持つ特徴、つまり自者は他者より序列の低い対象でなければならないという意味制限を持っていることを指摘した。