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將門ㆍ賴時ㆍ爲朝ㆍ淸盛ㆍ義仲という相次いで謀反を起こした人物たちは当時の天皇の王権をまともに認めず、それに挑戦した危険な存在として、天皇制の枠外に位置した、中世日本において內部の他者のように軍記物語の中で取り扱われている。彼らは中央を危うくするほどの武力を備え、辺境を勢力の根拠地とした共通点を見せている。その辺境の名は「東国․西国․俘囚․鬼界が島」と呼ばれている。琉球に渡ったという為朝と蝦夷島で活躍したという義経の伝承はその辺境までを越えている。 内部他者に対して畏敬しながら佛法․王法の正当性に頼り、天皇側と幕府側は互いの妥協と角逐のあげく、度重なる謀反を鎮圧した。その歴史を伝える軍記物語の語り手は、改たな天皇制の安定の為に謀反人の亡霊を鎮魂している。一方、国外に対する自己認識は、辺方に位置した小国という劣等感が前提にされている。しかし、王朝時代から中世の武家時代に転換する混沌たる現実を打開する方法として、神国思想と大日本国説などを掲げ、自国の優越さを鼓吹する認識が軍記物語に施されている。 中世日本の世界観は「三国意識」が根幹をなす。軍記物語にも天竺と震旦が有力な外部他者として認識されている。そのうち、天竺は仏教世界の中心であったものの、末法時代においてその比重は弱化の呈を露にしている。それに比べて震旦は儒教的教訓を求める対象としての認識が強く反映されている。もっと程遠い外部の他者として「新羅․百濟․高麗」の存在が稀に出ている。新羅は神功皇后の征伐神話と共に度々言及され、高麗は蒙古と連合して侵攻してきた記事が特に発達している。これは歴史的かつ潜在的な敵対意識が中世日本の一般化された情緒として表われたことと見られる。