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承久の乱後、乱に関する数多い言説があった。そこには後鳥羽院を悪王として切り捨てようとする六代勝事記から文武兼備の聖君として描写する増鏡に至るまで多様な後鳥羽院像がある。その多様な言説のなか、文覚怨霊譚は如何なる位置を占めているのかを考察するのが本稿の問題意識の出発である。文覚怨霊譚は承久の乱を語るにおいて怨霊譚という大きな枠組みのなかで後鳥羽院の挙兵として語るのではなく、文覚怨霊の仕業として語っている。帝徳の欠けた天皇を隠岐に封じ込めるための隠岐配流として語られている。したがって、承久の乱について語りながら、乱の進行や具体的な軍事行動、もしくは悲惨な結果などに関する表現が一つもない。このことこそ平家物語文覚怨霊譚の特徴であろう。 文覚は頼朝を見て日本の大将軍になる人物と看破できたように、後鳥羽院の帝徳の欠如を察知して、彼を王座から引き下ろそうとする。また、福原院宣をもってくることによって頼朝の蜂起を決定づけたように、怨霊になって後鳥羽院を隠岐に呼び寄せ、「都(王法)」を守った。このような文覚の目覚ましい活躍の背後には強い個性や那智修行に象徴される宗教者としての超人的な力があるといえよう。