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三國史記の記錄によると于山國は新羅の侵略を一回以上擊退したことになる。それほど强力な國家であったのである。新羅は于山國を武力では征服できないことを知り、木で造った獅子を見せながら脅かす計略を取った。于山國は新羅の思い通りにそれに騙され降伏した。 ここで考えられることは于山國が獅子の外形に恐怖心を感じて降伏したのではなく、宗敎的呪力を恐れて降伏したということだ。獅子は印度にある猛獸で于山國の人々が実際に目にしたはずがない。にもかかわらずそれを恐れたということは、佛敎の守護神としての獅子を認識していたということになる。獅子を実際に目にした経験のある中國ではそれが人間の靈魂を運ばれる聖獸として認識されていた。その認識が発展して祖先の墓を守る守護神に、または仏教を守護する聖獸と認識されるようになった。 獅子に対するそのような認識が中國を通じて傳來した佛敎と共に三國に伝わり、于山國もそのような知識を習得したであろう。于山國が新羅に征伐された512年に公認されたわけではないが、民間のなかではそれに対する知識が伝わっていた。かなりの信仰活動も行われたというのが一般的な説である。 ところで于山國の人々が獅子を見て宗敎的恐怖心を抱いたということはそれ以前に宗敎活動を行っていたということになる。また共同の對象を信仰する宗敎的統合もなされていたいうことになる。强力な呪力を以て人間を守護すると信じる対象を信仰することが人類の普遍的價値觀であったことを考えると根拠ある推定である。 于山國の宗教がどういうものであったかは知るすべがないが当代の三國すべてが祭天儀禮を重んじ、また太陽を崇めていたこと、また中國や日本にもそれと類似する宗敎活動が行われていたことを思うと于山國の宗敎もまたその範囲を脱するはずはない。即ち太陽とそれを抽象化した祭天儀禮のような宗教活動があったはずだ。 その場合獨島は巨岩という点と太陽が昇る東方に存在するという点において最高の宗敎對象であった。巨石を崇拜することや太陽を崇拜することは固有の宗敎活動であった。そのような條件を完備して鬱陵島の東方に存在する獨島は于山國人達の信仰の對象たるに充分であった。そのような獨島、肉眼で確認できる獨島を鬱陵島の人々が自分達の領域から除外するわけがなく、それは于山國の宗敎の對象になって君臨していたはずである。 于山國の人たちはそのような宗敎を媒介にして統合を成し遂げていたので新羅の侵略に抵抗し、また擊退させることも可能であっただろう。しかしながら結局は獅子を媒介にする佛敎の祟りを恐れ降伏してしまった。後進的宗敎知識による降伏であったのである。