초록 열기/닫기 버튼
1941から1945年までは‘韓国文学の暗黒記’と命名され、現在韓国の教育界で通用されている。ゆえにこの時期は韓国文学が存在されてないように扱われた。存在されたとしてもそれは批難の対象になる。 しかしどの時代にも作家は想像された読者を意識して作品を書いていき、時代の状況を反映しながら読者が楽しむ内容を書くのではないだろうか。それは誰かの支配の下であろうと、自由の状態であろうと自然に誕生するものであろう。1941年から解放まで韓国人のなかで文学を享有した人が存在したことだけでも‘韓国文学の暗黒記’と呼ばれるこの時期が文学史から差別されなくてもいいだろう。 本論文はこの時期、韓国の文学界で中心的な役割を占めていた『国民文学』を通じて、この雑誌が韓国と日本の文学者にとってどんな文学誌としての指向を持っていたか探ってみる。そして『国民文学』に載った湯浅克衛の「カンナニ」と「金海きよ子」, それから 金史良の「厶ルオリ島」をもって比較分析を試みる。