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‘悪女’的な要素が単に忌まわしく、非難されるべきものと思われた過去と違って、現在では‘悪女’の定義が肯定的な方向に変ってきているで。単に悪人と評価するのではなく、時代の流れと権力などの犠牲になって、やむを得ず悪人になった被害者である点に注目し、て当時の時代の基準に合わなかっただけであって、むしる優れた美貌と能力、積極的な性格をもった女性であったという再検討がなされている。本稿では特に、女性の怒りや本能が最も著しく現れるジャンルが怪異談だとし、その中で文学的に高く評価されている上田秋成の『雨月物語』の9つの物語の中の、「吉備津の釜」と「蛇性の婬」の女主人公である磯良と真女児を'悪女'と想定して分析し‘悪女’キャラクターについて考察してみた。その結果、『雨月物語』の磯良と真女児は、当時の時代的背景の下では只、残酷極まりなく淫乱な女に過ぎないが、それもまた男性的な定義であって性差別的な認識だと言える。磯良と真女児は女性に共感を与える要素を持ってはいるものの、‘読み本’という『雨月物語』のジャンルの特徴上、男性によって書かれた男性のための物語であり、磯良と真女児が悲劇的な結末を向かえるように考えられたという限界が窺える。そこに現代の自発的に悪女であることを選択した‘悪女’とは違う所があり、むしろ男性の望みどうりに作られたキャラクターとも思われる点がある。しかし当時の状況を考えると、‘悪女’としての可能性を窺えることも出きる。