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この研究は日本と韓国で、鉄道を近代性の根拠の一つとして創られた世界の国々の地理を歌った唱歌を中心に、日韓両国の作家の視覚的な発現を考察することにその目的がある。日本の‘世界地理唱歌’は明治中期「歌による知識の收得」を目指していた日本政府の教育方針によるものであって、韓国の崔南善の‘世界地理唱歌’は、日本のそれに対応として創られたことと見做すことができよう。両方を比べてみた結果、日本の唱歌の歌詞の視覺が世界地理の敎育の裏に、西洋の帝國の文明と経済力、そして政治に焦点を当て、帝国化してゆく熱望に重点が置かれているのに対し、崔南善の視覺は朝鮮植民地人の内面的な啓蒙と知的拡張に傍点が置かれたことが分る。これら両国の作家において、鉄道は近代以前には想像もできなかった西洋の世界にその模範に、未来の行方の想像を夢みたし、両国の'世界地理唱歌'はその具体的なゆく道を案内し、これを通じて各国のグローバリズムを想像し、夢みたといえよう。西洋から受け入れた近代的な知識の普及のため、唱歌という文字と歌唱の行為によって、これらの歌体の種類の文と歌唱が注目されるのは、そこに本質的に内在されてある絶え間なく繰り返された再現性にあるだろう。それにもかかわらず、これ両国の世界鉄道唱歌が、国内の地理に歌われた鉄道唱歌類に比べ、ブームを起こさず、民衆にあまりアピールされなかったのは、その時代的な狀況が一部の特権層を除いて、世界を啓蒙するとか知的な視覺の拡充が現実的にまだ無理であったと思われる。