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本稿では、日本植民地時代末期に朝鮮総督府が編纂した日本語·唱歌教科書の中で、実際に如何なる教育を行ったのかという点を通じて、日帝末期の植民地教育の具体的な実状を把握し、日本によって調整された小学校教育の様相を再証明することにその目的がある。当時、戦時体制になる時期の小学校教育は朝鮮人に対し今後、皇軍として日本語で行われる戦闘作戦を理解させるため日本語教育を最も強調し又、唱歌教育を通して無形の戦力の礎石となる小国民養成に全力を尽すことになる。この為に日本語と唱歌教科書を検討する事によって読本唱歌との連係性を探索し、日帝の軍国主義政策が児童の知覺活動に及ぼす影響、皇国臣民教育、朝鮮人を天皇軍として徵兵することを目的とし、どのような読本唱歌を児童達にどう学ばせたのかなど教育の実態を考察してみた。まず日本語と唱歌の教科書に現れた読本唱歌は戦争体制という様々な政策を含んでおり、二つは異なる科目にも関わらず両方とも軍歌及び軍歌的な歌を児童に学ばせていた。其の中で日常生活、軍神の英雄化そして徴兵公募ガイドの様な内容を歌にエスカレート·アップさせて、日本の為の軍人、天皇の為に命を捧げることができる「忠良な児童の育成」が優先視された。音楽を道具として重要科目である日本語とどこにでも抵抗感なしに歌われる唱歌を連係させ、遊びがてら、遊び半分の遊戯的に児童達の感性を人爲的に作ろうとする日本帝国の事実的な内容を確認することができ、朝鮮人児童に対して正常な教育を行なわず、当時の小学校教育はすべて緻密な計画と政策的な意図により構成されたと思われる。