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大国主神の神話には、絶対弱者だった者が試練を通じて、窮極的には支配者に生まれ変わる過程が生々しく描き出されている。実に多様な素材を採用して構築しており、一人の人物を主人公とする完全な形の物語を形成しているということができる。生まれる場面が記されていないところは、神話の主要神物の天照大御神や須佐之男、火遠理とは異なるが、少年から大人への通過儀礼を想像させる、八上姫への求婚譚から、八十神による迫害と逃走、根の国における須佐之男による試練と克服、そして出雲への帰還と支配へと続く話の構造は、物語文学の先駆としても遜色のないものといえよう。 神話のはじめには、大国主がどんな血筋であれ、権座を占めるのは不可能な立場にいることが強調されている。しかし、彼を従者として連れ出す兄弟たちの性情を悪辣窮まりない者に描き、呼称においても、一人一人に特定の名を与えず、ただ多数を表す「八十神」と、引っ括めて登場させ、その地位を推されるような言及がないのは、他の神話と全く異なる点である。このような構造からは、結局、迫害される者の品格が迫害する者とは正反対であることを強調し、試練の克服を通じて権力者に生まれ変わる一連の過程を穏当なものにするための作意をそこに見出だすことができる。 また、大国主は最初から最後まで女性に支えられていると言っても過言ではない。八十神による二回にわたる惨殺から蘇生し、偉大な神の力を手にいれる過程には、母親と女性の助けが不可欠なものになっている。しかも、大国主の死と再生と成長には、男女の性的交渉を思わせる原色的な描写が多々確認される。一見、猥褻ともとれるような内容だが、実は、これは絶えずに、大国主に再生力と新しい力を吹き込むための方便と考えられる。性的交渉に象徴される復活が暗示されているのである。