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本稿の目的は、冷戰終結後における日米同盟と米韓同盟の同盟變容が、新たな脅威認識再定義によって、それぞれ異なる方向性に向かっていると主張することにある。日本と韓國は、冷戰終結後において、米國との間に新たな同盟再定義を實施した。冷戰期におけるそれぞれの同盟變容は類似性を有してはいたが、冷戰終結後、その同盟再定義を通して、兩方の同盟は異なる方向性に向かうようになった。日本は米國との密接な協力關係を築こうとしたのに對して、韓國は、米國との同盟を維持していくものの、米國との同盟協力から距離を置く方向に向かった。本稿では、同盟變容に影響を與える脅威認識の變化に着目することによって、日米同盟と米韓同盟の變容經緯について明らかにしていく。米ソ二極體制の崩壞という安全保障環境の變化によって、日本と韓國は、米國との同盟を變容させていった。その原因はソ連の崩壞による共通脅威の喪失であった。こうした變化に對應するために同盟再定義が必要不可欠となった。さらに、イデオロギ―對立の文脈で正當化されてきた、駐留米軍や地位協定の不平等性に對する不滿の聲もまた、日韓兩國において表面化した。そのため日本と韓國は、米國との同盟條約を再定義しようと試みようとしたのである。しかし、こうした日本と韓國の同盟變容の方向性は全く異なっていた。例えば冷戰終結後の1996年、クリントン大統領と橋本首相の間で「日米安全保障共同宣言」が發表されたように、日本は日米同盟を再定義することで米國との關係を强化しようとした。その反面韓國は、冷戰終結後、確かに米韓同盟再定義の共同硏究を活發化させたが、日本のような共同宣言を發表せず米國と距離を置く政策をとった。冷戰終結後、日米同盟、米韓同盟はそれぞれ異なった方向に同盟を變容させていったのである。9.11テロ後の新たな國際情勢においても、日本と韓國の同盟變容の方向性は異なっていた。米國は、「テロとの戰い」を揭げてアフガニスタンとの戰爭やイラク戰爭遂行のために、同盟國の積極的な參加を求めていた。結果としてみれば、日本と韓國兩國ともに海外派遣を決定したが、その文脈は全く異なっていた。日本の場合、傳統的な部守防衛を原則としながらも、平和憲法に抵觸しない範圍で最大限の特別法を制定し、可能な限り米國の軍事行動に協力しようとした。韓國の場合、海外派遣は實施したものの、金大中政權や盧武鉉政權が誕生してから、北朝鮮との間で南北首腦會談を實施するなど、同國に對して友好的な政策を取り始めた。さらに2007年2月ワシントンにおいて、これまで米韓同盟の基本화組みとなってきた米韓連合司令部は、戰時作戰統制權が2012年4月17日に米國側から韓國側に返還されることよって解體されることになった。こうした傾向は、韓國と米國との間で、同盟利益と共通脅威に對する認識の隔たりが生じたという點を示している。本稿においては、このような異なる同盟變容の傾向を分析するために、日本と韓國の脅威認識に著目して分析を進める。日本の場合、自國の脅威認識が米國と一致、あるいは一致させる努力を試みたために、日米同盟は米國との同盟義務を以前より果たせるような同盟變容を實施した。韓國の場合、こうした動向に對して、自國の脅威認識が米國と一致していなかったために、米國に對して自國の自律性を主張する形で同盟を變容させていったといえる。本稿では、こうした槪念に著目することによって、日本と韓國が異なる形で米國との同盟を變容させていったと主張する。日本と韓國の脅威認識の變化を分析するにあたって、日本の場合、①ならずもの國家、②テロリズムへの對處、③中國の台頭という側面に着目し、日本が米國との間で脅威認識を一致させていたという點を明らかにする。これに對して韓國の場合、①韓國の國際的地位の向上、②冷戰終結後の對北認識の變化、③9.11後の對北認識の變化、④對中認識という側面に着目し、韓國と米國との間には脅威認識の不一致があった點を明らかにする。このような分析の結果、冷戰終結以降、日本と韓國は米國との同盟を異なる方向性に變容させてきた點を主張する。すなわち日本は、米國と密接な協力を通して新たな同盟關係を築こうとしたのである。しかし韓國は、米國との同盟を繼續していたが、米國から距離を置く同盟變容に向かったのである。なぜなら冷戰終結後、日本は米國との同盟協力を强化させることによって得られる自國の安全保障の增大、國際社會における地位の向上が、日本の主な同盟利益になったからである。こうした動向に對して韓國では、北朝鮮との關係が改善されることをきっかけに同國に對する脅威認識が弱まった。そのため米國との同盟協力の强化よりも、南北關係の改善をより一層重視することが、自國の利益になると判斷したのだった。韓國は同盟協力よりも自國の自律性を重視して、「對等な米韓關係」を築くことが重要だと考えていたのである。