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本稿は日本プロレタリア文学の代表的な作家である小林多喜二の「一九二八年三月十五日」を研究したものである。一九二八年に起きた三·一五事件を取材した「一九二八年三月十五日」は、小林多喜二の実質的な処女作である。共産党員に対する警察の残虐な拷問を描いた多喜二の「一九二八年三月十五日」は、彼を一躍、日本プロレタリア文学の新進作家の位置に上らせた。本稿においては、「一九二八年三月十五日」の初出のこと、単行本の刊行のこと、発売禁止のこと、この作品の書誌事項を調査した。そしてこの作品の発表の前後事情について考察した。多喜二の「一九二八年三月十五日」は、『戦旗』の一九二八年十一月号と十二月号に、二回に分けて発表された。「一九二八年三月十五日」は、当時の厳しい検閲を考慮して、多くの伏せ字と削除の部分をもって刊行されたにも関わらず、両号とも安寧の理由で、発売禁止に処せられた。そして、単行本の場合も、すべて同じ目に会わされた。多喜二の「一九二八年三月十五日」は、人物の形象が具体的に生きているといわれる。蔵原惟人と平林初之輔が評しているように、「一九二八年三月十五日」の中で、描かれた前衛は、いわゆる日本プロレタリア文学での鉄のような前衛の人物ではない。この作品の中ので描き出されている前衛は、母を思いやり、子供を心配しており、責任を持って家庭を思う人たちである。我々の周りによくいる人たちなのである。こういう人々が労働運動をして、三·一五事件の時、警察に捕まって、監獄で残忍な拷問を受けることになるのである。要するに、鉄のような強さが足りなかったから、現実性があろう。この作品の中に出てくる前衛は、空想から引き出した人でなく、現実の世界で生きている人であるといえよう。