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本稿では清末、四川省巴県の八省客長を素材にして、度量衡をめぐる個別商工業者の地域結合が果たして可能であったかを考察してきた。かかる四川省巴県の八省客長という事例は移られた客商たちが協議体を組織して、相互度量衡を設定したという点から、孤立的な組織化を超えて、度量衡の地域統一の可能性が予想される事例であった。しかし、巴県档案を始めた史料を読むかぎり、協議による度量衡の統合設定の事例は確かに存在したが、巴県全体の数量からみれば、一部分の事例に止まった。八省客長の協議がそんなに大きな権威を持つのもなかったし、彼らの背後に置かれた地方官の権威に多く依存していた。また、度量衡の一致度からしても、巴県の度量衡の状態も他の地域と同じく、依然として分散的な性格から離れなかったのである。 また、八省客長も商工業者の水平的な結合から出発したのではなく、あくまで地方官からの商工業者を管理する任務が当たられたのであったといえる。この意味で、度量衡に対する八省客長の設定もやはり地方官からの自律性を持ったとはいえない。業種別また出身地別に分かれた各々の商人団体はお互いに繋がりを持たずに孤立的に度量衡や貨幣、そして商品の価額を設定してきた。そして、商人団体の内部で行規が崩れた際、商工業者たちが依存した最終的な権威が他の商人団体もなかったし、巴県の地域社会の世論でもなかった。最終的な判決はあくまで地方官であった。逆に言えば、商人団体の低い自律性はこのような商人団体の分散性と深く関係をもっていたといえる。