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近代教育を受けた新しい女性たちの家庭観を両国の婦人雑誌である「新女性」と「婦人公論」を通して調べてみた。韓日両国の女性たちの考えた家庭観は、まず自由恋愛の結果としての家庭であって、その中での夫婦関係は対等、平等であり、また、子どもを中心として家族が団欒できるスイート・ホームであるというものであった。 しかし、配偶者の選択の誤りや家庭の中での夫婦関係の行き違いが生じたときは、韓国ではそれを克服することよりも順応するとか受け入れる方向で解決するのに対して、日本の女性は、それが離婚を前提としていないとしても夫に改善を要求したり、あるいは自分がもっと前向きな行動で生活の主体になることに躊躇しなかった。人格として対等で平等志向的な夫婦になるためには、韓国では適度に離れて生活する必要があり、女性たちに‘職を持て’と積極的に勧めた。しかし、韓国では固定化している伝統的な因習を変えることが難しい現実の前で女性たちに譲歩と忍耐を強調するのに対して、日本の女性は、そのような夫婦になれないのであれば、従順で現実順応的であるよりも、強い女性になって西欧の平等志向的な夫婦像を積極的に受け入れようとする姿勢であった。家族が団欒できる家庭を作るのは、韓国では家庭の中の女性の努力の如何によるものと考えるのに対して、日本では家庭を小さい社会体としてみなして構成員のお互いの配慮によって作られるものと考えている。 上の差は、まず韓日における近代文明の恩恵の受容度の差としてみることができる。近代学校の教育は多数の学生に一律的な平準化を指向した。女性に対する公教育の差が女性の認識を変化させたものである。日本では明治末期に大抵の女性たちは読み書きができた。しかし、韓国ではその当時、女性に対しての公教育が始まったところであった。もう一つは時代的な状況である。韓国は植民地状態であったため、個人的な幸福よりも国権回復と民族の自立が常に先に立った。日本は当時の世界の思潮であったデモクラシーの影響を受け、家庭の改良とか改造論が韓国よりももっと活発に論じられていたからである。