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本稿は牧野信一と李箱文学における<肉親嫌悪物>を中心にその様相や美学的特徴を比較したものである。両文学には、母性コンプレックスやオイディプスコンプレックスの様相が同様に見られる。しかし、牧野文学が直線的な語り口で語られた一種の写実画のようなものであるならば、李箱文学は暗示的で超現実主義の手法による抽象画のようなものであり、表現法にその特徴が分かれる。それを、さらに作家の個人的状況や時代および文壇の状況において分析してみた。そこで、まず、養子体験の有無によりその様相が異ってくることが分かる。それから、各々の文学には、自然主義の私小説流の美学であるリアルリズムを乗り越えようとする意志が窺われるが、リアルリズムや超現実主義といった、各々の処された文壇の状況によりその特徴が分れる。それに、両文学は、概して私小説的リアリズムから逃れようとする意志に基づき成り立つものの、私小説の範疇の中から自とその限界を示している。つまり、両作家は人生より芸術に力を注いでおり、そこに悲劇が孕まれるのである。いわば、文学とは何より思想が中核をなすのであり、思想とは作家の人生と密接な関わりがある。言い換えると、両作家は人生と芸術といった二項対立に捕らわれず、両方を共に乗り越えていくこと、そこから真の美学が生じることを分かっていながらも、ついに芸術や表現への強迫に呪縛され、苦悩に陥っていたところに限界が存すると批判した。