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日本の大正時代が明治時代と大きく変ったのは、近隣アジアを植民地支配することによって帝国主義としての西洋列強へ参入することが出来たことだ。それは西洋に対する漠然とした劣等感からある程度自由になったことも意味している。だとしてその以前まで盲目的に西洋化を唱えたスタンスを変えたわけではない。却って今までの漠然とした西洋に対する劣等感がさらに具体的なものになった。それは西洋が示していた普遍的な価値への憧れであった。とくに芸術などの観念的な問題に執着するようになる。その背景には大正時代のロマン主義的な世界観とも関連している。西洋の芸術は再び普遍的な価値として認識される。それは大逆事件によって天皇制システムが如何に日本の社会を支配していたかを見ればわかる。いわゆる社会や政治について誰も云わない冬の時代になったのである。このような時代に白樺派は気楽に芸術至上主義的な世界観を語る。大正時代には生命・自然・美・人類などの抽象的な標語による大正デモクラシー、大正ヒューマニズムなどの明るい言説が中心になる。つまり、自己の伸長、人生の肯定、人類愛、生命など、普遍性と代行性によって代表される抽象的な言説空間が大正時代の特徴になっている。 白樺派のなかで異質的な存在であった有島武郎はキリスト教を絶対的な他者として認識することはできなかったが熾烈な宗教体験をする。それは"神を知ったと思っていた彼は、神を知ったと思っていたことを知った。"という有島の宗教的な自覚でもあった。他の白樺メンバーが宗教を教養または近代的なものとしての観念論的な認識しか持っていなかったこととは対照的なものであった。その過程で有島は他の白樺派が社会性を排除したこととは対照的に、社会のなかで自分の問題に真剣に取り組む態度を呈する。彼は社会性を放棄することに強い疑問を感じ、不条理な階級制度などの問題を自分のものにしていく。 柳宗悦は哲学の価値を論理性に求める既存の見方を疑い、'個性を経由'することによって明晰な人生観や世界観を獲得する。そして主観的なテ厶ぺラメントを客観的理論より優位にする柳の論は、自己を生かすことを優先する白樺派に論理的な根拠を提供する。さらに個人的な特性を発見することからはじまる柳の自己充実がやがて真理の世界へ発展する。白樺派の自己の意志や伸長が、そのまま人類の意志へ代っていく様相にも似ている。こうした自己の世界には自己と世界の間に存在する現実という観念が欠落されている。