초록 열기/닫기 버튼

日本人はお宮参りや初詣などの神道式儀礼を行いながらも葬礼は仏教式に火葬をし、結婚式は教会であげる場合が多い。それにもかかわらず、多くの日本人が自分は宗教を持っているとは思わないという。本稿はこういう現象が日本人の神に対する独特なイメージからきたものではないかという問題から、九州宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区の神門神社の師走祭りという実例を通じて考察したものである。師走祭りは異国で離れ離れになって死んで神になったと言われる百済王伝説の証拠として知られている祭りである。百済王の親子が一年に一回再会するという形式に二泊三日にかけて行われる。百済王伝説の再構成と祭りの過程から以下の二つの点が明らかになった。第一、師走祭りの期間中、村人が祭神である禎嘉王と福智王の神体に祈る内容を整理してみると、安産・家内平安・農業と家畜の豊穣など現実生活の上での必要によるものである。第二、百済王伝説が1980年代百済村建設という村起し事業の過程で再構成されるまで村人たちは師走祭りの神様が誰なのかはっきりとわかっていなかったことである。こういう二つの事実から類推できることは、日本人は、世の中には八百万に当たる数多い神がいると思い込み、各神は人間に授ける福徳が分業化されていると思っている。神道の神に対するこのようなイメージが宗教についての現世的かつ便宜的分業化に繋がり、長い間、日本人は神道の神には現世の暮らしを、仏には死後の世界を託してきたのだと思われる。なお、それが教会での結婚式の盛行にまで繋がり、多くの日本人が現世の必要に応じて儀礼だけを取って教会で結婚式をあげていながらも自分が宗教生活をしているとは思っていないのではないかということである。