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本論文は新井白石の朝鮮通信使儀礼の改変について考察したものである。白石は朝鮮が日本使節を待遇することと同じように朝鮮使節をもてなすという原則をもって改革を斷行した。しかし、その改変は朝日兩國が十分に協議しあってから決定されたものではなく、白石が現實的な力の優位を利用して一方的に强要したものである。それで彼の改正案に對して朝鮮使節からの抗議が相次いだが、なかんずく一番激かったのがいわゆる「國諱問題」であった。  が、これも結局白石の主張通りに、朝日兩國がお互いに國書を書き改めて對馬で交換することとなったのである。勿論白石が日本も近世から偏諱の法を採用しているという噓をつきながら、この問題について强硬な態度をとったのは朝鮮と對等になるためであった。すなわち、國諱を避けるのは臣下がすることであるので、日本だけが朝鮮の國諱を避けると、日本が朝鮮の臣國のように誤解される余地があるから、朝日兩國がお互いに相手國の諱を避けることにしようということである。  「復号」もまた朝鮮と對等になるために試みられたものである。すなわち、大君という称号は朝鮮では王の嫡子を指す言葉であるので、朝鮮との外交文書で將軍が大君という称号を使用すれば、朝鮮の臣國のように見做される恐れがあるから、將軍もその地位にふさわしい称号である王号を使わなければならないということである。しかしながら、これは天皇とも密接な關わりをもっている問題であるので、朝鮮より日本からの反發がもっと大きかった。だが、白石は反對論者の激しい攻擊により窮地に追い込まれながらも最後まで自分の主張を曲げなかった。それで、通信使儀礼はすべて白石の意図通りに改正された。  ところが、彼があれほど念をこらして行った朝鮮外交の改革というものが、わずか八年も経たないうちにまた改革以前にもどり、彼も政治の第一線から退くことになったのである。これは彼の改革が当時の東アジアの外交慣例や、朝鮮との外交關係を必要とした幕府の事情などを無視した、非現實的な改革であったことを証明するものであろう。


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朝鮮通信使, 新井白石, 通信使儀禮の改正, 國諱論爭, 復號,, 日本國大君, 日本國王號