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本稿は、日本人の心の故鄕といわれる富士山を朝鮮通信使がどのようにみていたかを考察するために書かれたものである。江戶時代、朝鮮は12回の朝鮮通信使を日本に派遣した。彼らは東海道を上りながら富士山を目のあたりにして、その感想を使行錄に書き記している。 1次通信使は富士山を「ただ一塊の大きい石」としてみていた。すなわち、初夏でも山頂に雪を被ってある、新奇な山ではあるものの、山それ以上のなにものではなかった。言い換えれば、自然景觀としての富士山にすぎなかったのである。そして富士山に對する、このような認識は3次通信使にいたるまで変わらない。 4次通信使からは富士山を詠んだ漢詩が登場するが、これと共に富士山を見る通信使の視角も変わる。すなわち、4次通信使の副使、金世濂は「富士山」と題する漢詩のなかで富士山を仙界として認識していた。もちろん、彼は富士山と共に朝鮮も仙界と認識しているが、とにかく、それまで自然景觀に過ぎなかった富士山がここから仙界に変わったのである。そしてこのような認識は5次通信使の場合にも同じである。


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心の故鄕, 富士學, 富士講, 朝鮮通信使, 富士山詩, 自然景觀, 仙界