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本論文は、植民地支配と關連する現代の日本人の「妄言」が壬辰倭亂(文祿․慶長の役)に對する新井白石の發言と、同じ論理的構造をもっていることを指摘したものである。まず、現代の日本人のいわゆる「植民地恩惠論」と白石の「再造の恩惠論」が瓜二つである。すなわち、植民統治をより易しくするために作った鐵道や學校を例にあげて、日本は植民地時代によいこともしたと主張する「植民地恩惠論」は、壬辰倭亂が終わったあと、自分達の必要により朝鮮と和解したにもかかわらず、そのおかげで朝鮮が再建できるようになったので、朝鮮は日本の恩惠に感謝すべきであるという、白石の「再造の恩惠論」と論理的に同一なものである。  また、現在の歷史と過去は別個のものであるという歷史意識においても、兩者は一致している。つまり、日本の植民地支配は自分の先祖のやったことであるから、現代の自分達とは何の關係もないのに、どうして自分達に反省を要求しているのかという發言は、豊臣時代と德川時代を區別して、豊臣に對する恨みを德川まで抱いているのは不当であるという白石の發言と、同じ脈絡にあるものだといえる。  そして、このように現代の日本人と白石の發言が双子になったのは、彼らのおかれた狀況が非常に似ていたからであろう。つまるところ、壬辰倭亂に對する恨みを忘れていない朝鮮に向かって自分なりの對抗論理を立てなければならなかった白石の立場と、何とかして植民地支配に對する反論を展開しなければならなかった現代の日本人の立場が同じだったからであろう。したがって、このような狀況が解消されない限り、日本人の妄言や過去を美化する作業はこれからも續くのであろう。


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久保田妄言, 江藤妄言, 植民地恩惠論, 再造の恩惠論, 反韓論, 自虐史觀, 自由主義史觀, 歷史の非連續性