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本稿は朝鮮使節が近代化の進行しつつあった明治日本をどのように見ていたかを考察したものである。テキストは第一次修信使節(1876年)の正使金綺秀(1832-?)の著した『日東記游』を使用した。 金綺秀は初めて接する近代の所産物に好感を示していた。彼が好奇に溢れる目で近代文物を観察したあと、漢文という表記文字の限界があるにもかかわらず、その観察結果を自分の旅行記に細かく記録したのが、これを裏付けている。  ところが、彼は見学自体には消極的な態度を見せている。当時の朝鮮朝廷が改革派と守旧派に別れていたからである。すなわち、この両勢力を意識せざるを得なかった金綺秀としては、その中間というべき方法を選択するしかなかったのである。それで「道理」を見聞の原則に決め、日本人が道理にそむかなければ従うが、また自分で進んで見学もしないという消極的な見学態度を維持していたのである。