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本稿は、朝鮮時代の仏教絵画の影響によって御後絵が成立した可能性について論じたものである。御後絵とは、琉球国王の死後に描かれた肖像画のことである。画面の中央の国王を中心に、左右相称に重臣が配置される。国王の姿は目立つように大きく描かれ、その権威を強調して表現されている。本稿では御後絵が朝鮮時代の仏教絵画の影響によって成立した可能性について、まず朝鮮時代における朝鮮と琉球の仏教交流から考察した。朝鮮時代には、朝鮮から琉球に大蔵経伝わるなど、様々な交流があったからである。言わば朝鮮と琉球の仏教交流というコンテキストを注目したわけである。次に主に朝鮮時代に描かれた「地蔵幀」や「十王幀」を取り上げ、沖縄の御後絵とその様式を比較した。こういう研究によって、二つの結論を導くことができた。その一つは、御後絵と朝鮮時代の「地蔵幀」や「十王幀」のあいだには、すこぶる類似性が認められるということである。もう一つは、御後絵が飾られた「御照堂」という祭祀空間は、韓国の仏教寺院における「冥府殿」や「十王殿」に譬えられる空間であったというこである。 つまり琉球王国で、歴代の先王を仏教の「地蔵」や「十王」に匹敵するような存在として神格化する過程いおいて御後絵の絵画様式が生まれたと言えよう。