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『三国史記』の問題は、対外的なものでなく、あくまでも国内において高麗王朝の正統性を いかに保障するかであった。このため『三国史記』は、中国を中心とする世界観のもとに、中 国の正当性を受け継いだ新羅を継承した国として、高麗王朝の正当性を確証した。『三国史 記』は歴史をそのように著わした。 それに反し、『三国遺事』の問題は、王朝の正統性保障というレベルでなく、蒙古に侵略 され国家民族の存亡の危機に際し、国家民族をいかに保障するかという対外的なものであっ た。『三国遺事』には、仏教発祥の地天竺と韓半島が関連する説話が多く収録されてい る。即ち、『三国遺事』は、仏教という世界のもとで中国は勿論天竺までいれた世界的な視 野で、国家民族を保障しようとしたのである。これは、日本が中世に持ち得た「三国世界観」 と酷似する。日本の「三国世界観」は、天竺震旦本朝それぞれの世界の始りの知識をも つなかで、「天竺震旦本朝はその世界の始りは異なるが、仏教という一つの世界にある」と 語るのがそれである。『三國遺事』も、「東震(東国)と西乾(印度)は共に一つの天なり」(前 後所將舍利条)と韓国中国印度三国が同じ世界あると語り、仏教の普遍的世界観の中で 自己の存在を確認するのである。『三国遺事』は歴史はそのように著わした。 このように、『三国史記』と『三国遺事』は、別々の世界観の元に著わされた古代史とい える。つまり、別々の古代史である。それにもかかわらず、現在も『三国史記』と『三国遺 事』を張り合わせて、韓国古代史を創り続けている。これは、日本において『古事記』と 『日本書紀』を張り合わせ日本古代史を創造してきた誤りを踏襲するものである。