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崔南善が編纂した『時文讀本』(第3券第29章、1918年4月)にはとても興味深い翻訳文が 載せられている。徳富蘇峰が1892年8月に『國民新聞』に發表した「知己難」が朝鮮語で 訳されており、さらにそこには「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」という 紀友則の和歌が時調(韓国の定形詩の一つ)で翻訳されていたからだ。最近、林相錫は『時 文讀本』に関する論文を立て続けて発表している。彼はそれらの論文の中で崔が和歌を時調 で訳した理由として、崔南善の美意識や『時文讀本』の編集意圖、そして前近代的な古典 の秩序といったことをあげている。だが、和歌を時調で訳したこと、すなわち和歌の翻訳様相に は林の指摘とともに、以下の三つの理由により当時崔南善が日本について抱いた反日感情が 働いたのではないかと考えられる。 まず、崔は「知己難」を翻訳する際、「東京より横浜に達する汽車中にてすら」という表現 から「東京より横浜に達する」を削除して訳した。次に、『時文讀本』には1899年8月に高山 樗牛が『中学世界』に載せた「死と永生」という文章も翻訳されている。崔は「死と永生」 に出てくる「楠公」すなわち楠木正成を南宋における武将「岳飛」と訳した。最後に、『時 文讀本』には1891年12月に高山が『中学国語読本』に発表した「世界の四聖」も訳されて いる。そして、「世界の四聖」には「喬木風に折らる」という諺が出てくるが、彼をそれを「太 剛則折」と翻訳した。つまり、崔南善が和歌を時調で訳したことには、林相錫の指摘とともに、 当時崔南善が日本について抱いた反日民族主義があったと考えられる。