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『枕草子』の持つ明るい雰囲気とは裏腹に、作者が仕えた藤原定子の一生は不幸だった。 こうした一見不調和そうな印象は、枕草子の日記回想章段の「笑い」に対しての様々な分析 や見解を生ませた。しかし、当時の政治的状況と作品との影響関係は思ったよりさほど緊密でな かった可能性も十分考えられる。『枕草子』の執筆主体である清少納言は定子一族の最盛 期に宮中生活をはじめ、定子の晩年にいたるまで、宮中生活の貫禄を積んできた。自分の主 君は栄華の頂点から、下降曲線を描いている間に、むしろ清少納言は女房として成長していっ た点を考慮すれば、当時の明るい「笑い」の場面の存在はさほど不当でも不自然でもないは ずである。こうした観点に基づき、本稿では当時の政治的に暗い状況との結びつきよろ、女房 の成長とともに一貫して働いている『枕草子』の表現方法を見つけ出そうとした。具体的な方 法としては、「笑い」の場面の一要素と言える作品の中の「戯画化」の方法有無を基準にし て、「笑い」の場面を時間順に羅列した場合,後期エピソードにおける偏在は見つからないこと が分かった。また、執筆者による戯画化と登場人物同士の戯画化のどちらも、その始まりが初 出仕回想のエピソードに入っていることが分かった。これは、清少納言にとって、この戯画化の やりとりあるいは戯画化そのものが憧れの対象であることの証拠であるし、これによりこうした戯画 化を実現していく過程が本作品に取材されていると言える。結果的に、『枕草子』の「笑 い」の場面は、表現上では一貫性を維持、作品内の現場では、「笑い」に参加、主導した り主導されたりする行為を通して、宮中社会の一員への成長ぶりを見せているものと理解すること ができる。