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安龍福に関する記録は思ったより多いといえる。安龍福を拉致した大谷家の記録 『竹島渡海由來記拔書控』、拉致した安龍福を半年間も拘留して尋問した対馬藩の 記録『竹嶋紀事』、鳥取藩を訪問する目的を言明した安龍福一行を観察して記録し た『元錄九丙子年朝鮮舟着岸一卷之覺書』、拉致された安龍福と訪問してきた安龍 福をともに記録した鳥取藩の『控帳』『御用人日記』、後世の民族主義者で日本の 利益のみを思う鳥取藩の儒学者岡島正義が偏した『增補珎事錄』『因府歷年大雜集』 『因府年表』『竹島考』などがある。その記録が伝えるところによると、安龍福は 1654 年に釜山の佐自川で生まれた商人で日本語に長じていた。拉致された1693 年に は裨將を、鳥取藩を訪問した1696 年には朝鬱兩島監稅長臣·三品堂上官安同知·通 政大夫などの官名を名乗っていた。 ところが岡嶋正義の編纂物には安龍福の「号牌」というものが筆写されているが、 諸記録とは内容を異にする。年が6~7 歳も違い、身長は123 ㎝と低かったことになっ ている。そのうえ持ち主の姓名が読み難い合体字になっている。このように諸記録 と内容が異なることを認識した編者は「今按此牌面ノ文字恐クハ伝写ノ謬アラン後 日識者に可糾ス」という注まで付けた。 安龍福の号牌は1693 年のものを筆写したという岡島正義の編纂物のみでなく『元 錄九丙子年朝鮮舟着岸一卷之覺書』にも見えるが、この内容は諸記録と同じく、 1654 年生まれの安龍福が1696 年に通政大夫を称した事実などを伝えている。 なのに、20 世紀の研究者たちはその号牌に根拠して安龍福を評価し、安龍福の実 体を判断しようとしている。日本は安龍福が代表する朝鮮の独島認識を否定してこ そ自国の論理、即ち、無主地先占論を維持できるので、そう主張する。ところが、 安龍福の活動から独島の歴史的正統性を確認しようとする研究者らもその主張に同 意する流れである。 しかし、岡嶋正義の編纂物の号牌は編者が注したとおりに誤りが多い。事実を糾明 しないで、そのまま活用することは正しくない。編者の注や号牌の内容から見て、そ の号牌は安龍福が持っていたとしても安龍福のものとは考えられない。従ってその号 牌を根拠にして安龍福の実体を論じた研究物は廃棄するか、再考するべきであろう。