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万葉集に多く見え、平安時代以後衰退した和歌の一体に長歌がある。この長歌は一般的に長歌と反歌からなっている。その意味で私は長歌と反歌をあわせる呼び方で、長歌作品という言葉を使いたい。 さて、先行研究は万葉歌人大伴家持の作品における反歌に興味を示してきたが、それについての評価はそれほど高くない。すなわち、先人は家持の反歌が初期万葉時代の反歌のように、単に長歌の内容を要約․反復したと評した。しかし、近年に入って、今までの家持の反歌に対する見解に批判的な研究者が出はじめた。その中で注目に価する研究者が朴一昊である。朴は家持の反歌を「要約的な反歌」といい、それは長歌の主題をより明確にする役割を果たしたと指摘する。 本稿では防人の悲別をテーマとした家持長歌作品のうち、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」(⑳4408-12)を取りあげて、家持の反歌について検討してみた。以下、考察を結果を記しておこう。 まず、長歌の最終句「家に告げこそ」によって、長歌と反歌は密接にかかわっていた。次に、四つの反歌は単に長歌の要約․反復ではなかった。第一反歌は第二反歌を、第二反歌は第三反歌をそれぞれ導いていた。要するに、反歌同士は単に並べられているのではなく、お互いに密接な関係にあることが明らかになった。 つまり、本稿では多くの先行研究のように、一概に家持の反歌を長歌の要約․反復で捉えることが望ましくなくことを指摘した。また、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」を通して知られるように、この作品における反歌は朴のいう「要約的な反歌」では説明できないことも指摘した。その意味で家持の反歌についての評価は全面的に見直さなければならないと考えられる。