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本稿は、田村俊子の『あきらめ』『生血』『誓言』『女作者』に焦点を合わせ、それらの女主人公の自我について、凹型と凸型に分類しつつ、その変遷過程を分析したものである。  『あきらめ』の富枝は、女子大という旣成の制度から離脫し、凸型の自我を示しながら、自己實現の道へ進み出ようとするが、自己を守るためにひとまずは旣成の枠に收まっていく凹型の自我のあり方を示した。ただし、「自分一箇」に生きることを激しく希求し、凸型の自我を內に秘めている。  『生血』のゆう子の物語は、男への反發という形で、凸型の自我を垣間見せるところから始まったが、本能的に男から離れられない凹型の自我の隷屬的な側面を映していた。   しかし、『あきらめ』の姉夫婦の夫や、『生血』の男のように壓倒的な力で女を壓する男に對して、なすすべもなく退いていく凹型の女性像から(『あきらめ』においては凸型の萌芽が認められるが)、『誓言』を境に次第に男と對等に渡り合おうとする凸型の一面が强まっていく。  すなわち、『あきらめ』の富枝と『生血』のゆう子は、凸型の自我から凹型の自我へ作品內部で移行する面が認められるが、『誓言』のせい子と『女作者』の女作者は、男の欲望に応える凹型の生を生きる內に葛藤に苦しみ、その果てに凸型の自我へとスライドしていく。これは、『あきらめ』の成功を境に、文壇の人氣作家として注目された田村俊子と、賣れない作家であった夫の田村松魚の內面生活を反映していると見て間違いないだろう。またそこに、一人の女が男女の修羅をくぐりぬける中で、女作者へと成熟していく過程を見ることができる。  当時の家庭主婦としてのあり方は、言いたいことがあっても控えて、常に夫を影で支えるような女性が美化されて、守らなければならない德目のように思われていたが、本稿で取り上げた作品の中の女性たちは、男性中心の不條理な現實を決して甘受しないで、男性と對等な個人として彼らと向き合おうとする過程を示していた。それは、男女差別的な社會で女性の側から發した個人の尊重を渴仰する叫びでもあったと言うこともできるだろう。  このような女の內面の綿密な描寫は、同時代の文壇の多數を占めた男性作家に描かれた女性像においては見出されることは少なかったと言えよう。そこに、以前にも增して、田村俊子へのアプローチが、近年の學界において見られるようになった一因が認められる。