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本稿は一九一四年から一九一八年にかけての韓国と日本におけるタゴールブ─厶に着目して、同時代の賢治と韓の文学に影響を及ぼしたインドの詩人であるタゴールの文学作品を考察しながら彼の文学がどのように二者に受け継がれているかをテーマにしたものである。 彼らの作品は主に賢治の場合は、『春と修羅』第一集(1924)であり、韓は『ニ厶の沈黙』(1926)である。そして、タゴールの場合は『ギタンジャリ』(1912)と『生の実現』である。吉江は日本の文学者の中で賢治がタゴールの影響を受けて作品を書いたたった一人の作家であると言っている。それは確かに法華経の信仰が篤かった賢治を考えると当然なことかも知れない。 韓の場合も曹洞宗の僧として一九一八年、自ら主宰した「唯心」誌に『生の実現』を二回にわたって連載したが、総督府の言論検閲によって廃刊させられた。そして、韓は「タゴールのガデンニストを読んで」と言う一編の詩が『二厶の沈黙』のなかに載せられている。 タゴ─ルは『生の実現』の中で、自我が神と完全に合一するためには不完全で神から分離されている自我から解放されるべきで、そのためには自我の利己主義を廃棄しなければならないと言っている。これはタゴール思想の重要な筋である。 賢治と韓の先述した詩集と童話には自己否定、又は自己犠牲の主題が作品化されている。ここで注意されるのは、自己犠牲が愛の拡大のために、或は分離されている自我が神との一体化を成すため、必然的にされるべきである。なぜなら、ウパニシャドでは人間の終極的な指標として<一>である霊魂を悟ることであり、それは<全体>との和合を志向するからである。この点は近代的自我が志向するのと反対となっていて、それを超克しているところにタゴ─ル思想のニューニ─クさがある。賢治と韓の文学も自我を超克して救援に至るプロセスを再現している。