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本論文は、作品『夜を賭けて』における構成の妥当性及びテーマについて、空間<旧大阪造兵廠跡>、<大村収容所>、<大阪城公園>を中心に考察したものである。民族分断、在日差別は必ず解決すべき時代の暗い歴史であり、民族問題である。作品中の金義夫や張有真などの「在日朝鮮人」は、「夜」の時代を「賭」けるように生きてきた人物である。こういう「在日朝鮮人」について『夜を賭けて』は、三つの空間である<旧大阪造兵廠跡>、<大村収容所>、<大阪城公園>という三つの空間を通して描き出している。この三つの空間の意味をまとめてみると、次のとおりである。一つは、<旧大阪造兵廠跡>を通しては、当時の「在日朝鮮人」である<アパッチ>の生活ぶり及び、日本の公権力による経済弾圧が露に露出されている。また、<旧大阪造兵廠跡>を媒介にして報道された「在日朝鮮人」への「負」の記憶を取り除け、<旧大阪造兵廠跡>の「負」の歴史性を浮き彫りにさせることで、作家梁石日は、二つの民族の共存の可能性を、ひいては和解を模索しているといえる。二つは、<南>と<北>のイデオロギーによって引き裂かれている「朝鮮人」の様子、日本政府による在日朝鮮人への見えない弾圧、つまり「人権蹂躙」の問題を、<大村収容所>は照らし出している。そればかりではなく、第一部とはあまりにも異なる<大村収容所>での、金義夫の抵抗意識の断絶と、<大村収容所>の外側での、初子の金義夫への愛の外延的拡張にともなう意識の成長が描かれている。言い換えれば、空間<大村収容所>は、空間の持つ閉塞性と解放性が人間の認識をいかに変えるかを、如実に描出している。三つは、<大阪城公園>は経済的、政治的不平等の空間が文化的空間として変貌している歴史的真実を表わしている。要するに、<大阪城公園>は植民地支配の象徴的場所であったが、<ワンコリアフェスティバル>という在日朝鮮人による周縁文化が披露される空間として変わっている。実は、ここで今後取り壊される<大村収容所>という空間の役割をみることができる。このように、戦後も続いてきた日本社会の「在日朝鮮人」への差別を二つの空間である<旧大阪造兵廠跡>、<大村収容所>を通して露出しながらも、『夜を賭けて』は<大阪城公園>を描くことで両民族の、または朝鮮民族の和解の可能性を形象化しようとした作品であるといえる。