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母虎が三びきの子虎を連れている中国明の「乳虎図」は、現在日本に二点、アメリカに一点所在が確認されている。ここでは、その三点の「乳虎図」から「乳虎図」の典型を把握し、それが朝鮮と日本の「乳虎図」にどのような影響を与えたかを調査した。明の「乳虎図」の画題を忠実に描いた朝鮮の「乳虎図」には最近日本から買い戻された學古齋の「虎鵲図」がある。明の「乳虎図」には、母虎や三びきの子虎といっしょに松、鵲が描かれた。學古齋の「虎鵲図」はそれを全部充足している。朝鮮時代の虎図の中で母虎と子虎がいっしょに描かれたものは多くあるのだが、この松と鵲という要素をすべて備えたのは少ない。しかし、民画の中にその条件を備えた絵画がいくつかある。民画独特の平面的でユーモラスな表現の中にも「乳虎図」の要素を描いているのを見ると「乳虎図」が画題として伝わってきたことが窺える。日本には明の「乳虎図」が二点も残されているのでその影響が大きいと思われるのだが、実際はそうでもない。狩野山楽伝の京都妙心寺の障壁画から「乳虎図」の一部の趣向が見られるのでその影響が認められる程度である。江戸時代後期に当たる岸駒や春木南溟認めら程度各々一点ずつがあるのみである。それに明治期の作品で平福穂庵の「乳虎図」がある。また「乳虎図」の一種で「虎渡河水圖」がある。これは特に日本で独自的な発展を遂げる画題である。絵画はもちろん龍安寺石庭(虎の子渡し)をはじめとする枯山水にも応用される。中国において形成された画題が朝鮮や日本に伝播し、それが各国の独自的な発展を遂げている。しかし、一国の現象だけを見て結論に導かれる場合が多々ある。たとえば、「虎鵲図」が韓国のみにあり、中国、日本にはないという誤謬を犯すことである。この研究は「乳虎図」という三国の同じ画題が各国においてどのように反映されたのかを追求することによって、いままで誤解されていた部分を明らかにすることに目的がある。