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 虎は有史以来日本には住んでいなかった。しかし、虎は霊獣として普通の動物以上の文化的象徴性を持つものである。日本には先進国である大陸の文化を受け入れる時、虎の文化も一緒に入ってきた。すなわち、実物のない日本に、文化として入ってきた虎が日本文化としてどのように定着していったかというのを調べるのがこの研究の目的である。  日本の最初の虎は仏教と強い関わりを持っている。日本最初の絵画というべき「玉虫厨子」の虎をはじめとして、仏像と一緒に描かれた四神の白虎図や古墳の白虎図、そして涅槃図での虎。宗教として描かれた虎は図像が厳しく守られたが、それが大きく変化したのは宋元画である。  牧谿を中心とした宋元画の虎は日本の絵師に大きな影響を与えた。最初虎を見る機会のない日本の絵師は典拠を充実に守り、そのまま模倣していた。しかし、虎は武士の武威を象徴する動物として唐獅子とともに城郭や寺院の襖や屏風としてさかんに描かれるようになった。この虎図に対する需要の増加とともに少しずつ虎図に変化が求められた。  虎図に多様性を持たせたのは画譜の発刊である。17世紀中国における画譜類の出版が繁盛し、それがすぐ日本に伝えられ、日本にも輸入画譜及び日本独自の画譜が刊行され人気を博した。画譜類に描かれた虎の数は非常に多く、その画題も多様である。  このように日本における虎図は長い年月を経て文化的に熟され多様の画題として発達した。さらに江戸時代後期には虎の見世物が公演され、やっと実物が見られる環境となった。こういう文化的な恩恵を受けた虎図の名手が出現するのである。岸駒の虎は写生的でありながら筆力が旺盛で技巧においても優れた虎図を残した。 日本での虎図は長い文化的な熟成を通して多様な画題として発展を遂げた。しかし、韓国の民画に於ける虎図のように自由奔放なものはあまりみられない。しいて言えば雪村くらいであろう。日本の虎図は少なくとも猫や犬とは似ている。しかし、韓国の虎図は実物の虎と似ていないといっても猫や犬とは全然別物である。日本人はかえって虎を見ていないので想像力を発揮できず、少しでも虎に近づけるために猫や犬を写生しており、韓国人は直接虎に接しているからこそ自由に描けたのではなかろうか。