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穀霊「スクナヒコナ」の海上來臨と穀霊「ニニギ」の天上降臨の対比は、異郷意識を考える上で極めて重要である。これは海上他界から天上他界への変遷過程と、「粟」の穀霊神「スクナヒコナ」から「稲」の穀霊神「ニニギ」への変遷過程を投影しているからである。これと関連し、農耕儀礼も民間の新嘗祭から宮廷の新嘗祭への変遷過程と、宮廷の新嘗祭から大嘗祭への変遷過程があったと考えられる。 さて民間の新嘗祭を取り入れて朝廷でも新嘗を行うようになった頃は、毎年の「新嘗」と代替りの即位儀礼としての「大嘗」とは、区別がなかったと推定される。たとえばꡔ日本書紀ꡕ清寧天皇2年条の「大嘗供奉」の科とあるのを、同じ書の顕宗天皇即位前紀の条では「新嘗供物」といっている。つまり同じときの行事を「大嘗」とも「新嘗」とも読んでいるのである。これに対し、ꡔ日本書紀ꡕ天武天皇2年(673)12月5日条には、大嘗に奉仕した者に祿を賜った記事がある。この記事によれば、天武天皇の時代から「大嘗」と「新嘗」の区別が明確になされてくる。ここではじめて、年ごとの新嘗祭と天皇一代一度の大嘗祭との関係は、正月儀礼と即位儀礼の関係として新たに再生産されるようになったのである。 ところで毎年行なわれる新嘗祭の本義は、実にこの出雲国造家の神火相続式と、古伝新嘗祭の本質を理解することにより、明確に把握することができる。出雲国造の継承儀礼を「火継ぎ」というのは、古代以來の杵築の大神の大国主神と神慮一体の御杖代としての出雲国造の「霊威」の継承を意味する。この古伝新嘗祭は相嘗という神との共食儀礼により、祖霊の天穂日命の霊をうけついで、大国主神を斎き祭る霊能を具有することを象徴している。 これに対し、天皇家においては歴代の天皇が天照大神の祖霊をうけついで、大八洲国のシラス権を、代々継承されていることを象徴する。新嘗祭や大嘗祭のときの新穀の神人共食は、それを献上するオスクニ(食国)を支配するという呪術的要素が含まれている。天皇によって天照大御神と天神地祇に供える初穂の稲は神そのものを意味する。それを食することにより、前代の天皇は後継ぎ(日嗣)の天皇の中に大復活を遂げ、現人神の「日の御子」がタカミクラ(高御座)について即位するのである。天皇は大嘗祭を行うことによってはじめて、天皇が「日の御子」と「稲魂」の体現者であるという資格を身につけることになる。つまり稲霊の死と再生を祭儀化した穀霊儀礼と、天皇霊の死と再生を祭儀化した即位儀礼とを習合したのが、大嘗祭にほかならない。そこには農耕儀礼や天皇の神権の根源であるという意味が濃厚となっている。