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從來の秋成の硏究においては、秋成は初期文芸活動である俳諧を打ち切り、國學者との交流により國學の影響を受け讀本作家へと変貌したという見方が主流となっており、秋成の俳諧は結局余技以上のものにならなかったという評価がされていた。ところが、秋成の作品には、俳諧的な要素である滑稽や皮肉など笑いを催すような文章が散見できたり、俳諧による連想語が生かされているなど、靑年時代から關わった俳諧はその文人としての活動の基盤になっていると言える。  本稿では、今までの秋成硏究においてさほど知られていない秋成俳諧について、その發句作品の實態とそこに認められる先行作品の受容の問題についての解明を試みた。  その結果、秋成の俳系については、その入集狀況から、大坂俳壇の主流をなす紹廉門と淡々門の俳人たちの句集への入集が多いことが確かめられた。また、俳風については、談林俳諧、あるいは中興期都市俳諧の特色とも言える傾向が窺われ、たとえば、雅俗の對比、小說的․物語的な世界、日本の古典や中國の漢詩․故事などを踏まえていること、見立てや擬人化、言葉遊びなどといった表現を用いることなどが確認できた。特に、受容の側面では、談林俳諧の宗因への傾倒や蕪村との親交が言われているにもかかわらず、發句作品において、芭蕉を意識して踏まえる句をもっとも多く詠んでいることが見受けられた。その受容した句の特色としては、第一に、芭蕉句を踏まえた上で、その句の表現にさらに滑稽性を强める作意がある點、第二に、句の中に芭蕉の面影を認めるが、そこには皮肉な視線を込める點、第三に、芭蕉發句の內容をそのまま受容している句も認められる點、などが擧げられる。これらにより、秋成の發句作品における芭蕉句の受容が認められるという新しい評価を導き出すことができたと言える。