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本稿では『千羽鶴』と『波千鳥』を中心に、愛欲の承継と禁忌の破棄として表れた<魔界像>を考察した。作品の中で「茶室」と「茶器」を含め、「茶道」の役割が大きな比重を占めており、中でも「茶室」は、登場人物が逢瀬を重ねる大事な空間であると同時に、「閉鎖空間」として設定されている。茶室の前で今まで穿いていた「足袋」を脱ぎ、それを「永遠」の象徴である「千羽鶴」が描かれた風呂敷に包む行為は現実世界を遮断することを意味し、これは「茶室」が現実とは掛け離れた「異空間」として設定されていることを示す。また、「茶室」の主人が亡父から菊治へ承継されると共に愛欲の承継が行われている。つまり、亡父の元愛人である太田夫人との肉体関係を息子である菊治が、そして太田夫人との関係を娘である文子が受け継ぐことによって、禁忌が破棄され、行き違う「近親相姦的な関係性」が生じるのである。この関係性は「茶器」を媒介として築き上げられた縁であり、またそれの持つエロチシズムによって愛欲が触発され、禁忌を破り近親相姦的な関係性へと発展していくのである。このような近親相姦的な「背徳」の関係性に対する罪の意識は太田夫人を自殺へと追い込む。太田夫人の遺品である「茶器」は「吐きさうな不潔と、よろめくやうな誘惑を誘う」強い性的媒介物であり、文子は「茶器」を壊すことによって近親相姦的な関係を打破しようと試みる。結局、菊治は純潔なゆき子との結婚を選択するが、それは「あざ」に象徴されるもう一人の父の元愛人であるちか子の画策によるもので、外部からの「与えられた関係」に過ぎないのだ。「桃色の千羽鶴の風呂敷」の女性であり、「光」として象徴される「純潔な」ゆき子はあくまでも「彼方の人」として留まる。つまり、菊治はゆき子には異性としての魅力を感じることが出来ないのであり、反倫理的な性愛の関係でなくては男性として機能できないのである。菊治は文子の純潔で持って近親相関的な関係の不潔性と罪の意識を洗い流したように、純潔なゆき子との結婚を通じて救済を求めたが、これを得ることができなかったということを意味する。反倫理性を認識し、それから脱しようという主人公の試み ―千羽鶴の風呂敷に象徴される聖処女との結婚(聖処女による希求願望)― は虚しく終わり、逃れることのできない堕落性向の中で罪を重ねつつ魔界を徘徊する。『千羽鶴』の主人公が禁忌を犯し、魔界を徘徊しながら現実と遊離していく過程の中に <魔界像>が表れていた。