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中世の猿楽者たちは、自らを渡来系秦氏の後裔だとし、始祖として秦河勝を崇拝してきた。秦河勝は、能だけでなく、雅楽や伎楽の祖先とされており、芸能の起源説話に登場している。秦河勝が芸能の祖として言説化される背景を探ってみたいと考えたのがこの論文の出発点である。 芸能の起源とからまって語られる秦河勝伝承は、中世の聖徳太子伝承が展開する中で、形作られたとみられる。能を大成させた世阿弥やその婿金春禅竹は、中世の聖德太子傳承のなかに含まれていた秦河勝の芸能起源伝説を能の起源説として援用していた可能性がある。しかし、秦氏族の翁信仰をもとにして翁猿樂が成立する過程で芸能の翁神と秦河勝を一体とする言説が形成され、それが猿樂者たちの間で伝承されてきた可能性も排除することはできない。猿楽者集団が祭っていた秦河勝が、翁神である同時に荒神と重なる経緯も同様に考えられる。 猿楽者集団は、鬼の芸能を翁の芸能として飛躍させ、日本演劇の起源ともいえる翁猿楽を成立させた。能や歌舞伎は、翁猿楽をもとに生まれたものである。翁猿楽は、翁面をつけることで翁神と化した老体の神と童子による呪術的なパフォーマンスである。翁猿楽における翁神や翁面の由来は、渡来系秦氏族の翁信仰から見い出すことができる。まず、翁神は、鍛冶翁から童子として変身した八幡神の巫俗的な側面と、稲荷神や新羅明神が持っている鬼や荒神としての側面、賎民に近い現れ方をする松尾神の卑しい側面、これらすべてを持っている。以上で取り上げた八幡神・稲荷神・松尾神らは山の神であるという共通点を持っている。このように猿楽の翁神は、山岳修験文化の世界で活躍していた翁神を信仰する翁信仰を背景にして誕生したとみてよいだろう。次に、翁面は、猿楽者集団によって神霊を象徴する神体として崇められてきたが、神聖視されてきた翁面の本質も神が翁として、または荒神としてあらわれる修験文化のなかに求めることができる。 また、秦氏族の祖先とされる秦河勝が翁神であると同時に荒神の神格をもっているのも中世に活躍する山の翁神の場合と共通する。日本古来の山岳信仰に外来の宗教文化が集合することで成立した修験道においては、翁と荒神がほとんど重なりあう位相であらわれるのである。