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<政治の季節>と呼ばれた1960年代に発表された大江健三郎の 「日常生活の冒険」は1960年代の大江の文学キーワードである<政治的人間>を作品化したものであるといえる。この作品は明治期から1960年代までの人物の生き方と死を通じて、日本の政治運動の問題を提起していると思われる。作品では、政治的運動の問題としてモラルの不在が挙げられているが、モラルが前提とされていない政治運動は実現させる力を持たず、持続されがたいという問題意識が現れている。作品では、<政治的人間>を 「旅に出るほう」と定義されているが、ここから 「旅」に関する表現がモラルを象徴していると思われる。 ところが、旅に関する表現は 「旅」と 「旅行」が現れている。この二つの表現の意味について探ってみると、現代の辞典的な意味と明治期の意味が異なることが確認できる。現代の辞典では、二つの言葉は同義語のように説明されているが、明治期の文章から確認すると、二つの言葉は対立的に使われていたことがわかる。明治期の 「旅」には苦行の意味があり、また知識(作品での表現ではモラル)を得るための行動という意味があるが、「旅行」には娯楽的なイメージがあり、行動の内容であるモラルが不在していることを象徴していたといえる。 「日常生活の冒険」では、明治期から1960年までの政治運動が失敗し続けている様相が描かれ、このような政治運動の歴史を通じて、日本での政治運動の難しさを強調していると思われる。作品では、日本での政治運動の失敗の原因の一つとして、運動の主体となる個人のモラルの不在が挙げられている。すなわち、日本での政治運動に対して、形式としての政治的運動は存在するが、その内容になるモラルが存在せず、ひとつの流行的な現状であるのではないかという問題意識が提起されていると思われる。このような主題は 「旅」と 「旅行」という二つの言葉を通じて反映されているが、モラルを強調するために、現代辞典的な意味ではなく、明治期の意味を借用していると思われる。モラルの意味を持っている 「旅」とモラルの不在を意味する 「旅行」という明治期の意味を通じて作品の主題が象徴的に現れているといえる。 そして、「旅」と 「旅行」の明治的な意味を積極的に借用することから、大江健三郎の明治期に対する態度が浮かび上がっていると思われる。それは、現代では忘れられているモラルの重要性が求められた時代として明治期が強調されている。このような明治期(または近代)への態度は、明治期を軍国主義国家への始発点として考えれ、否定するべき時期として扱われてきた現代以後の態度とは異なる、大江の特徴的な面であると思う。