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『日本書紀』はまた古代のことばと表記を知るための宝庫である。しかし書紀は『古事記』(3巻、712年撰)と違って漢文で書かれている。『日本書紀』30巻は、表記の性格によってα群(巻14~21·24~27)、β群(巻1~13·22~23·28~29)、巻30に三分される。 α群は持統朝に続(しょく)守(しゅ)言(げん)と薩弘恪(さつこうかく)が正音·正格漢文で述作した。β群は文武朝になって山田史(やまだのふひと)御方(みかた)が倭音·和化漢文で撰述した。巻三〇は元明朝に紀朝臣清人(きのあそみきよひと)が撰述し、同時に三宅臣(みやけのおみ)藤麻呂(ふじまろ)が両群にわたって漢籍による潤色などを加えた。清人の述作は倭習が少なかったが、藤麻呂の加筆には倭習が目立った。 β群は倭音によって和化漢文で書かれ、α群は正音によって正格漢文で書かれている。両群の性格は基本的に倭漢の対立なのだ。α群の基本的な述作は渡来唐人によって行われる。α群の基本的な述作は渡来唐人によって行われる。β群の撰述者は文武朝以後の学者に求めるべきる。私は山田史御方(三方)が随一の候補と考える。御方は学僧として新羅に留学し、帰国後は還俗して、文武朝に文章博士となる。 書紀の漢文の誤用や奇用は基本的にβ群に偏在し、例外は引用文や後人の加筆文に現れている。しかし稀ですが、α群特有の誤用や筆癖もある。韓半島関係記事には確実に後人の加筆と考えられる記載もある。巻19「欽明紀」5年3月条の百済聖明王の「上表文」には、古代韓国の文章と共通した誤用や奇用が見られる。