초록 열기/닫기 버튼

本稿の重要な内容を整理すると次のようになる。 1.釈読表記の起源は廣開土王の碑文と牟頭婁の墓誌の比較から確認することができる。いままで確認されたところによると、韓国初の釈読は「크다(大きい)、넓다(広い)」の意味を持つ「*han/한」であり、5世紀当時の高句麗で「廣」または「大」と表記された。 2.初期吏読の発生は廣開土王碑文に見られる「之」によって確認される。 3.口訣字の起源は木簡資料によって確認される。月城垓子の木簡に見られる「」が韓国最古の口訣字である。 4.造字も広義の借字範疇に属する。出土文字資料で確認されたところによると「瓦天」や「小吏」の字は6世紀頃に百済人が考案したものである。 韓国語表記の起源は固有名詞の表記から見つけ出すことができる。一次資料を調査している途中で、我々は幸いにも5世紀の金石文から固有名詞に関する異表記を見つけることができた。牟頭婁墓誌の「國罡上大開土地好太聖王」と廣開土王碑文の「國罡上廣開土境平安好太王」を対象させてみると「廣開土」が「大開土」に対応することが分かる。このような異表記の「比較ペア」を発見することによって我々は韓国語釈読表記の起源を解明する手がかりを得ることになる。 韓国語表記の起源を探求しようとする時、本稿は一次資料に見られる釈読表記と初期の吏読に焦点を当てた。その結果、5世紀高句麗の金石文から韓国語表記の起源を確認することができた。これに加えて百済人が既存の漢字を利用して造字を作ったという事実も吟味してみる必要がある。6世紀に造字を作る水準にあったということは、釈読や初期の吏読のような漢字の用字法も既に知っていたということを暗示する。自国語表記に対する認識がなかったとしたら造字(国字)の発明は不可能だったであろう。 文献資料が見せてくれる証拠も無視することができない。温祖や朱蒙の異表記に関する記録と古朝鮮から高句麗に伝わったという「刀斗の伝説」は韓国語表記の起源が5世紀の高句麗以前に遡ることができることを示唆しているためである。