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鄭斉斗(1649-1736)は、朝鮮後期の陽明学者として、朱子学が体制教学であった朝鮮王朝期において彼は、非常に特別の存在として位置づけられる. しかし、彼の性格に対しては今まで'程朱学的な保守性'あるいは‘右傾化’が指摘されてきた. その主な理由は、彼の礼学に関するもので、それが朱熹の『家禮』や『小学』に基づいていることが多いからである. 本論文は、このような観点が誤解であることを鄭斉斗の著作と王陽明の著作に基盤して実証的に考察してみた. 「壬戌遺教」における宗族内の儀礼、「献議」における国家的儀礼、「経儀」における日常生活上の儀礼、という側面と鄭斉斗の「克己復礼」「博文約礼」理解を通して、鄭斉斗の礼学は、禮教的な面を含めて、王陽明の思想に充実してことがわかる. 『家礼』や『小学』は、朱子学者と陽明学者とを問わず、儒者に広く受け入れられたものであり、陽明学者たちは礼教の回復に積極的であった. ただ、違いは儀礼二対する位置づけにあった. 儀礼を自己の外部に存在するとしがちな朱子学に対して、陽明学では儀礼を外部にあるものではなく、みずからの心の反映と見なして主体的にこれを省察していくという能動性があった. その結果、陽明学においては細かな儀礼研究はなされず、簡明で内面的心情を重視した実施方針が求められた.