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この研究は金熙明(1903~1977)の詩と文学評論を集中的に調査し考察することによって彼の反帝国主義文学運動の姿を具体的かつ明らかにするために進行されたのである。これは究極的に日本帝国主義下の在日韓国人の反帝国主義文学運動を全体的に把握するに寄与することであり、今まで大して関心の対象にならなかった金熙明の文学運動をようやく具体的に究明できたというところに重大な意義があると思われる。 この研究はまず金熙明の生涯と文学活動についての全体を把握することから行われた。金熙明は1903年3月18日忠南論山で生まれ、論山公立普通学校(現論山富倉初等學校)を卒業してから1917年15歳の時卒業と同時日本に渡って苦学した。彼は1922年以後から1927年の間日本大学專門部社会科で修学し、在学時社会科学研究会の会員として活動しながら社会主義の思想を持つようになった。1928年半ばから金熙明は東京府の社会科の嘱託職員として就職し、それ以後は社会事業運動へと方向を転換、既存のような文学活動は展開しなくなった。 金熙明は1923年から1927年にかけて詩を7篇発表した。大抵初期の作品には当代の現実を悲観的に認識しながら自暴自棄の心情が現れている。しかし後期になるにつれて歴史的現実を批判的に省察することによりこれを克服しょうとする意思と信念を強く表れようと努力したところが窺える。このような作品のうち詩「異邦哀愁」は植民地下の日本で朝鮮人の労働者の子供が経験した悲劇的現実を叙事的な脈絡で事実をうまく形象化した作品であり、在日韓国人のディアスポラとして階級的差別と民族的差別を体験した現実を淡々としかも深い感動を与えられる作品であった。 金熙明の文学評論は全部12篇が調査されたが、それらはすべて日本語で発表されたものである。彼は文学評論を通じて急進的な政治闘争を追求した社会主義路線を支持しながら反帝国主義の文学理念を表したのである。一方日本帝国主義に対する直接の批判と大衆的政治闘争の立場を披瀝するとともに文学批評の理論的尺度と作家の政治的信念と行動的実践を何より重要視したから、これに基づいた作家の真実性と現実の具体性を描いた作品を高く評価したのである。