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本稿は宗教と政治的な特徴を基にして新古今和歌集神祇歌が理想としているのが何であったかということを究明してみた。その宗教的な特徴というのは、中世が神仏の時代であっただけに、人間社会をめぐる全ての事象がこれを通じて解釈されていったことを言い、政治的な特徴は幕府体制下で縮小の一路を向けるしかなかった天皇に代わり公家政権を掌握していった院政を指している。こ文学の方ではれら二つの特徴を要素にして神祇歌というのがでてきたわけである。 当時の帝王の権威は揺るいでいたけれど、神祇信仰は祭祀と神社參詣という形でその歴史を続けていたし、この時代の神仏習合的な発想は神を仏の境地までに引いていくに役立ったのである。従って、神道は王権を守るイデオロギと働き、皇室の祖先神の天照御神を祀る伊勢神宮に崇敬の念をあらわすことによって、結局神の権威を利用して皇室の権力の正当化を図ろうとしたと言える。その反面、中世の歌人たちは和歌を地位保全の手段としていたので、和歌の守護神である住吉明神と和歌世界で中心的な位置を示していた御子左家の藤原一族は自分の守護神である春日明神への祈願に没頭していた。このような様相は和歌を以て天皇の泰平聖時を成し遂げようとして本歌集の勅撰者である後鳥羽院の離島とあいつぐことであったと思われる。 結局、神祇歌におけるその理想は皇道の宣布と皇威の發揚であると言える。そういう面から本歌集の神祇歌は中世王権の核心が天皇だと言うことを強調する皇国的な観念に満ちる歌群であるとも言えるし、また神祇歌は皇国を聖化したことにその意義があると言えるのである。