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小林秀雄は昭和十三年十月に慶州を訪れ、名跡石窟庵を見物したが、そ の時の経験をその翌年に「慶州」という題で発表する。その作品には美との遭逅が作品に対する感覚的享受ではなく、それに対抗する言語の発見によって実現するという批評的な認識が示される。小林秀雄は石窟庵の美に深く感動し、それを謙虚に受け入れるが、その一方自己の精神から言語がなかなか立ち上がらないことに苛立つ。小林秀雄は「沈黙」を強いられ、 「疲れ」を感じ、「不機嫌」を覚えるが、それらはすべて小林秀雄の美に対する批評言語の端緒をなす。それは小林秀雄が出発期以来堅持した唯物的言語観、とりわけフランス象徴主義の詩学を支えた言語思想と照応するものであった。この論文はその端緒の正体を関連作品の分析を通して追跡したものである。