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本論文は、安龍福が渡海し鬱陵島で漁獵活動をした背後にどんな勢力が いたのかを論じたものである。当時の鬱陵島渡海は國法で禁止されていたため、渡海は個人の漁民による非公式的なものとされてきた。しかし、17世紀後半における鬱陵島渡海は大規模なもので、果たして何の経費の支援なしで一介の漁夫たちの資金力で可能なことであったのか疑問である。日本の場合、鬱陵島に渡海するために大谷家と村川家は鳥取藩から經濟的、政治的後援を受けていた。安龍福の鬱陵島渡海やはり彼の獨斷で行われたものではない。一介の漁民が船舶3隻に42人という大規模の船団を募集し漁獵行爲をしたとは考えにくい。彼の背後には日本側の資料に見える「シ ャクワン」や「国主」との内容から推測されるように、やはり彼に渡海を命じていた上官がいたのある。その上官とは当時の貿易と稅金徵收を担当していた東萊府使と釜山僉使と無関係でない。かれらの協力なしで、鬱陵島で獲得した收穫物を運搬し流通させ、そこから利益を得ることは不可能であった。「空島政策」で公式的な許可を得た漁獵行爲ではなかったが、暗黙的な許可の下で行われた鬱陵島渡海とみるのが妥当である。