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旅行は日常からの逸脱を意味する。文学の場合、旅行は作家の創作意欲 を掻立てる役割をする。『蜻蛉日記』の作者道綱母は2回の初瀬詣での他に、唐崎祓い、石山詣で、鳴滝篭りなど、かなりの物詣でをしている。彼女は物詣でから新しいエネルギーを充足して帰ってくる。本稿では、彼女が2回も参拝している初瀬の持っている宗教的イメージについて考察してみた。初瀬は万葉の時代から‘こもりくの初瀬’といって、洞窟のように窪んだ姿から母体の象徴として人々に認識されてきた。また、初瀬川は激流のため、力強い生命力を象徴していた。其れ故、初瀬は観音の霊地として古くから人々の篤い信仰を集めていたのである。このような参拝地は‘他界’と認識され、参拝行為は‘架空の死’からの帰還に擬せられた。また『蜻蛉日記』の初瀬詣でに登場する‘宇治’と‘椿市’は聖所である参拝地と人の世を繋ぐ‘結界’であった。物詣ではこのように道綱母にとって、再生の機会であったが、2回目の初瀬詣で以来、彼女はもうそれ以上物詣でに出なくなる。日記中巻の末尾にある'思ひかへる'の歌の意味するように、道綱母は兼家の不誠実さに懲り、もはや兼家に夫としての期待を捨てたからである。